5.ELVIS

妹と一緒に有楽町の日劇に「ウエスタンカーニバル」を観に行っていた頃はグループサウンズ全盛でしたが、その昔のカーニバルは山下敬一郎を頂点とする熱狂のロックンロールだったこと、そして原点にエルビスプレスリーが存在していたことは分かっていました。

そのエルビスを実感したのは、グループサウンズもピークを過ぎた頃に観た「ELVIS ON STAGE」の映画でした。

画面の中のエルビスは私の想像を超えていました。でも「上手いなあ。カッコいいなあ。」と思った気持ちもそこ迄に留まっていました。

 

エルビスの本当の凄さ、素晴らしさを知ったのは最近の事です。

地域活動で親しくなったOさんが超の付くマニアにて、エルビスのCD、DVD、関係本等の殆どを収集しているとの事で、音楽談義の中でOさん推薦のDVD数本をお借りして鑑賞しました。

 

容姿や表情は勿論として、とにかく凄いのがその歌唱力です。抜群のリズム感と声量、音域の広さと持ち前の甘い声質、そして喉の持続力も驚異的です。更に確実なギター演奏にも驚きました。飾りではなく正確に弾いているのです。

計算された体の動きも素晴らしく、すべてがエンターテイメントとして完璧に確立されているように思います。

音楽評論家が声を揃えて語る「ソロシンガーの歴代No.1はエルビス。」は、私の中で完全にフィットしました。

でも、対抗するとしたらマイケルジャクソンかな? ・・・との思いが心の中で横切りました。

(2022年8月5日・・・良いものは良い/ヒデ)

 

 

 

 

4.ビートルズ

小さいころから音楽が好きだった私は、高校生になるとラジオで洋楽を聴くようになり、ついにはビートルズに傾倒することになりました。最初のころは周りに影響されての一般的興味でしたが、大学生になり直ぐに4人編成のバンドを組みビートルズの曲を演奏するようになるとシンプルなサウンドと歌詞に魅了され、ジョンレノンになりきって人前で演奏するようにもなってきました。

ロックバンドからフォークシンガーに転身してもビートルズサウンドから離れることは無く、とりわけジョンレノンの生き様に純粋さを感じて傾倒するようになってきました。

私の好きな曲は「HELP」「愛こそすべて」「レットイットビー」で、行き着く先はジョンの「イマジン」です。

好きなアルバムは「ラバーソウル」「アビーロード」です。

アルバムは勿論、恐れ多くもビートルズ研究者を目指していた時期には関係する書籍もたくさん読みました。

ジョンレノンミュージアムにも5,6回は訪れて、詩人ともいえるジョンの世界に浸りました。

 

ストーンズやサンタナ、そしてビージーズ、クラプトンなどに凝った時期も有りましたが、常に私の戻る先はビートルズでした。

何といっても、若者や社会に大きな影響を与えて新たな時代を創り出しリードしてきたのがビートルズだと思います。

 

振り返ると、歴史上の偉人や恩師以上に私の人生に強く影響を与え、常に道標として存在していたのが「ジョンレノン」と「吉田拓郎」であったような気がします。だから私は胸を張って音楽人間と言い切れるのかも知れません。

 

今後も大切に「LET IT BE」を歌いたいと思います。

(2022年8月3日・・・我が人生の道標に/ヒデ)

 

 

 

3.岡林信康

フォークソングに目覚めた頃に鮮烈に心に刺さってきたのが「フォークの神様」岡林信康で、その風貌とステージでの振る舞い、ハートフルな曲の全てに魅了されました。

反体制をストレートに表現する曲も良いのですが、私は部落などの差別に対する抗議をモチーフにした「チューリップのアップリケ」「手紙」などの飾り気のないマイナー調の曲に惹かれました。

 

フォークシンガーであることに嫌気がさして田舎での隠遁生活を行ったり、復帰の際にはエンヤトットなどと表して独特の演歌調の演奏スタイルに変えたりしてきた歌手履歴が神話的にクローズアップされるが、私にとっては違和感はあまり有りませんでした。

もともとフォークと演歌の差は殆ど無いと思うからです( 日本人の基本的心情は演歌なので、自己主張であるフォークの到達点が演歌になるのは「南こうせつ」「谷村新司」「堀内孝雄」などの楽曲にも現れています)。

体制への反逆児であって欲しいと願う岡林の熱狂的信者には申し訳ないが、Amのコード展開を基本とする岡林のフォークは最初から演歌であったような気もします。

 

いずれにせよ、フォークが本来のフォークであった時代の象徴が岡林であり、ひとつの時代を体現してきたのも岡林なのです。

激動の時代の中、新宿西口広場で若者が反戦、反体制を熱狂的に叫ぶように繰り返し歌った曲「友よ」の圧倒的熱量が本人を超えて岡林を神格化したのかも知れません。

 

今も「私が神様、岡林です。」と自己紹介する岡林に対して、若干の「後ろめたさ」さえ感じてしまう「元岡林信者]の私なのです。

 

(2022年7月26日・・・憧れの存在が居ればこそ/ヒデ)

 

 

 

2.吉田拓郎

ロックから転身してフォークソングを歌うようになってから最初に興味を持った日本のミュージシャンはのは岡林信康ですが、長く、そして最も強く影響を受けたのは吉田拓郎です。

吉田拓郎は1970年にデビューした頃から人気が急上昇し、思いを素直に表現するオリジナル曲も素晴らしいが、それ以上にライブ演奏時に自然体で語るトークは追随を許さぬ面白さで、いつも観客を大いに沸かせていました。

60年代末に全盛であったアングラフォークにとどまらず、反体制の思いを表現する一方で恋や愛についても素直に歌う姿勢は広く受け入れられ、さながらフォークのアイドルと言える存在になりました。

 

拓郎が人気が出始めた頃から宇都宮にも何度か訪れ、駆け出しの「青い風」も地元のアマチュアミュージシャンとして何度かステージを共にしたことが有ります。そんな時、雑然とする控えホールの片隅で一人で背中を向けてギターを抱えて演奏確認をしている孤高の姿が記憶に残っています。ステージでの自由奔放な姿とのギャップは私にとっては小さな驚きになっていました。

同時に、それもシャイな拓郎の人間らしさとして魅力的に思えました。

 

私の好きなアルバムは「ローリング30」と「今は人生を語らず」の二枚で、好きな曲は「どうしてこんなに悲しいのだろう」「イメージの詩」「ペニーレーンでバーボン」「ローリング30」「外は白い雪の夜」「落陽」です。

そして好きな曲と共に、あるいはそれ以上に拓郎の人間性に惹かれ続けてきました。多くの拓郎ファンのように、常に拓郎を感じながら生きてきたような気がします。

 

拓郎は今年で表舞台からの引退を表明しました。一つの時代の終焉なのでしょうか。私たちの時代の幕引きなのでしょうか。

(2022年7月25日・・・一つの時代の終焉を感じつつ/ヒデ)  

 

 

 

1.フォークソングの歴史

南北戦争が終わり、落ち着きを取り戻してきた1900年頃からアメリカ南部ではジャズ(管楽器系)やブルース(ギター系)がポピュラーになる一方で、山間部では牧歌調のカントリーミュージックが1920年ころから台頭してきました。                 

初期のアメリカンフォークソングはカントリーミュージックからの発展形と思われ、労働歌、反戦歌的要素を含み次第にヒット曲やスターも生まれてきました。

1960年代になると個人ではボブディラン、バンドではPP&Mがブームを作り出し、日本の若者たちにも多くの影響を及ぼすことになりました。

 

日本では、1960年代の半ばからカレッジフォーク(サベージ、ブロードサイドフォー、森山良子、マイク真木等)が台頭し、60年代後半は反戦系やアングラ系フォーク(高石友也、岡林信康、フォーククルセイダーズ等)が注目されるようになってきました。中でも岡林信康は反体制の中心的存在となり「フォークの神様」などと呼ばれました。

フォークを表舞台に引っ張り出したのは1970年デビューの吉田拓郎であり、その後には井上陽水、かぐや姫、アリス、などのヒットメーカーが台頭し、75年ころにはユーミン、中島みゆきを中心に女性シンガーが中心にニューミュージックと呼ばれるメジャーサウンドが歌謡アイドルと並んで音楽界の中心になってきました。

 

フォークは拓郎が1980年ころまでリードしたが、その後は長渕剛が独特のスタイルでインパクトを与え続けています。

私は、真のフォーク時代は吉田拓郎がけん引した1970年~1980年のように感じています。

(2022年7月20日・・・HP再開を記念して/ヒデ)